昨日、日本中が注目していた旭川女子高校生殺害事件で、主犯格の内田梨瑚被告に懲役27年の判決が下されました。
裁判中には男が法廷に乱入し、
「こんな判決おかしいだろ!」「死刑だろうが!」
と叫んで一時休廷になるなど、異例の事態となったこの裁判。
ニュースを見ていて、どうしても納得がいかない「2つの大きな疑問と怒り」があります。皆さんはどう感じましたか?
疑問①:なぜ「強盗殺人罪」で起訴しなかったのか?
検察への不信感報道を追っていく中で、私は激しい衝撃と怒りを覚えました。被告らは被害者の女子高校生から、事前に暴行や脅迫を加えてお金を奪い取っていたという事実。
そして、その上で今回の凄惨な殺人に至っているわけです。これって、法律上は立派な「強盗殺人罪」ではないのですか?強盗殺人罪の法定刑は「死刑または無期懲役」しかありません。
しかし、今回の担当検察官が作成した起訴状の罪名は「殺人」や「不同意わいせつ致死」などでした。
なぜ最初からもっと重い強盗殺人で起訴しなかったのか、検察側の判断には大きな疑問が残ります。お金を奪った上での犯行という実態が、刑を軽くするために見過ごされたように思えてなりません。
疑問②:裁判員の意見が通らない?「裁判員制度」の恐ろしい闇
さらに絶望したのが、判決後に裁判員の方々が明かした胸の内です。一部の裁判員は、被害者遺族の深い悲しみに触れ、「今回の有期刑(懲役27年)では申し訳ない」と涙を浮かべて悔やんでいました。
ここで、日本の裁判員制度の「とんでもないルール」が浮き彫りになります。
実は、裁判員が「無期懲役や無期拘禁刑にするべきだ!」と強く主張し、求刑より重い判決を望んだとしても、プロの裁判官3人のうち、たった1人でも反対すれば無期刑を選ぶことはできないという仕組み(「部分的多数決」のルール)になっています。
…は?
それって本当におかしくないですか?一般市民が、凄惨な証拠動画を見せられ、凄まじい精神的重責を背負わされて必死に考え、出した結論です。
それなのに、決定権が実質的にプロの裁判官に握られているのだとしたら、「国民を裁判に参加させる意味」なんてどこにあるのでしょうか。
まとめ:国民をお飾りにするなら、制度を廃止すべき
市民の感覚で「これは無期懲役が当然だ」と判断したのなら、裁判官も含めた全員の純粋な多数決で決めるべきです。
それができない、あるいは市民の感覚を反映させるつもりがないのなら、こんな精神的負担だけを強いる裁判員制度なんてさっさと廃止すべきです。
これでは国民がただの「お飾り」として利用されているだけです。
今回の懲役27年という判決。有期刑としては最長クラス(罪を併合しても上限30年)だそうですが、遺族の無念や犯行の残虐さを考えると、到底納得できるものではありません。司法のあり方そのものに、強い不信感を抱かざるを得ない事件でした。
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